イタリアの量産車メーカーで今活力を感じさせるのはアルファ・ロメオだ。多くの欧州メーカーが、そしてほとんど全てのイタリアメーカーが資金、そして経営に苦しみ、紆余曲折を辿ったのはアルファも同列だ。1933年には、今の日本の産業再生機構のような国の機関であるIRI(産業復興協会)の管理下に置かれ、半国営企業として80年代まで過ごしてきた。その後フィアットの傘下となり、しばらくの低迷の後に独自の路線を築き始めたことになる。もっとも、その親会社たるフィアット自身が揺らいでいるようだが。 |
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アルファも多くのイタリアンと同じくコンペティションモデルの開発を主にロードカーも作るという時代を経てきたメーカーで、プロトタイプの類を含めると膨大なモデルとなる。またそれ故に常に資金不足に悩まされていたわけだが。 |
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第二次世界大戦後、量産メーカーとしての近代のモデルでエポックと言うべきは60年代前期のジュリア・スプリントGTだろう。デザインはカロツェリア・ベルトーネながら担当したデザイナーは、若き日のジョルジェット・ジウジアーロだ。氏の作品が全て優れているとは思わなかったものの、氏を高く評価していたのはこの作者だからだった。このモデルはその後ベローチェ、GTA、GT1300ジュニア、1750GTベローチェ、2000GTベローチェと進化し、アルファの中核を成すモデルとして日本でも少なからず見られたものだ。 |
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